華々の愛の結晶の日々

飼い猫の憂鬱と幸福

父の命日 と、結婚記念日

病院の帰りに、お墓参りへ。

 

改めて、39才で亡くなるというのは

(小さい子供を残していくのは)

つらかっただろうと、父の気持ちを思う。

残される人は、なんとか生きていかなきゃで

生きていくしか、ないけど

残していく人も、心配で苦しくて

気になって、たまらないだろうと思う。

 

多嘉良が、司式でこの日を選んだのは、

悲しみを喜びで上書きさせようと

したかったからだと思ってる。

 

生きている上での別離と、結び。

生きていると、正反対なことを學ぶね。

 

みーさんと別れるまで、人生は

ある一定の場所から、動けないと思っていた。

ある一定の場所というのは、

ある人の傍だったり、

ある家であったり。

 

というか、一度決めたらやり通すべき

と思ってた。

決断したら、貫き通さなければならないと。

他に道があっても。

脇目を振っては、ならないと思ってた。

 

家(土地)も、

一緒にいる人も、運を定めてしまう。

限定してしまう。

 

例えば、上京するかしないかで

出合う場所、物は変わる。

出逢う人もだ。

 

私はみーさんの言うなりだったから、

付き合う範囲の人も限定された。

 

今もか?

多嘉良はわりと、これでも自由にさせてると

言ってるけど…。

 

多嘉良のような、独占欲バリバリのやつには

良い奥さんだろうね。

病気だから、外に一人じゃ行かないし

寝てるだけだから、安心。

(たまに脱走して来たが)

 

最低限、家事はするし

気をつければ、エロ欲解消もできる。あー、

ムカツク💢ぜ。

 

すまん、話ずれた。

真面目な話から。

 

正確には、入籍日は違うんだけど

教会で誓い合った日だから、

私の中で結婚記念日なのよ。

うふん。⇦うふん、に意味はない。

 

人生は、自分で変えようとしたら

変わる。

たくさんの力が必要だけど。

 

支えも必要だけど。

きっかけも。

 

病気は、きっかけの一つになったから、

感謝している。

 

多嘉良が、ぐいぐいぐいと引っ張って抜け出させてくれたことにも、感謝している。

あの時は、変わり目では、ちょっと迷惑だったのだけど。

 

逆に言うと、人を変えようとすれば

変えられる。

強い意志が必要だけど。