華々の愛の結晶の日々

飼い猫の憂鬱と幸福

寄付を出来た❣️

ユニセフへ。

清潔な水を作る錠剤を、購入するプラン。

手洗いが出来ない、飲水が出来ない地域に。

コロナ関連の寄付。

 

破傷風予防ワクチンの、ギフト。

主に出産に伴う、危険の回避。

母子への。

 

他の団体だけど、コロナに限らず

混乱状態のストレスは、女性や子供への暴力に

繋がるので。

ストレス発散での性暴力や、食事をさせない

などなどの。

 

寄付、きりがない。

 

さっき多嘉良がいない時(娘の学校への送り時間)に、

webサイトから、カードで次々寄付してたんだけど

怒られなかった。

 

一言事前に!

とは言われたけど。

 

多嘉良がいるから、寄付が出来るのよ

 

と言ったので。

ちょっと嬉しそうにしていた。

嬉しそうに、ナデナデしてくれた。

 

多嘉良が、今いてくれることは

私の幸せの一つ。

今、一人暮らししてたり

娘と二人だったら、ばんばん寄付するなんて

出来ない。

私が持ってる、お金を寄付に全額投入

なんて出来ない。

 

多嘉良が、ご飯も生活用品も買ってくれるから、衣食住が保証されてるから、出来る。

 

寄付をさせてくださり、ありがとうございますと神様にお祈りしたけれど、

多嘉良に感謝しなければいけないと

思い、お礼を言ってスリスリした。

 

子供の時に多嘉良がいたから、今、生きてる。間違いなく。

多嘉良と出逢ってなかったら、体が死んでたか

精神が死んでたか、どっちか。

 

寄付するのは、子供の頃の自分を救うことだ。

ご飯がなかった時を思い出したら、

国も状況も過酷度は違うけど、

〔今日の糧、今日のご飯がない〕

というのは同じ。

 

病気に対しての寄付、

暴力にさらされている女の子への寄付、を

特に積極的にしたいのは、つらさが

半分くらいはわかるからだ。

 

ひとりひとりの状況の、苦しみは

その人に与えられたものだから、どんなに

寄り添おうとしても、わからないものは

わからない。

でも、わかろうとしなければならない。

 

寄付。それでも

エゴは入るね。

 

結局は、自分自身の味わった苦しみからしか、想像は出来ないし

 

子供時代、あるいは

みーさん時代の無力さを、

今、温かい場所でぬくぬくしながら、

自分の過去の心を

救いたくて

寄付する面もあるのだから。

 

多嘉良が、服買ってくれたり

意味わからん値段のもの買ってくれたり、

食事に連れてってくれると

罪悪感が襲ってくる、ことがある。

 

着ないのに。

使わないのに。

食べられないのに。

 

でもそれを、着たい人、使いたい人、食べたい人、欲しい人がいる。

お腹が空いてても、貰えない人がいる。

何で、行き渡らないのだろうね。この世界は。

 

努力で、片付かない話。

 

生まれた場所で、決められてしまう未來。

努力しても、どうにもならない次元のこと。

 

その場所で、どう生きるか

なのだけど

どう生きるか、の選択すら、ない場所。

 

一生懸命祈っても、どんな億万長者が寄付し

続けても、変えられない。

 

私は死んだら、いっぱい修行して

人や動物や、自然に宿る精霊様の生命を助けて、

小さくても、一つで良いので神様の力を賜りたい。

神様の御使の仲間入りをしたい。

そうしたら、誰かを根っこから助けられる。

 

神様の力はたくさんあるけれど、

例えば長寿の力とか。⇨寿命を伸ばす力とか。

長く生きる=幸せとは限らないけど、

長く生きていることで、世界を助ける力の

ある人は、存在するので。