華々の愛の結晶の日々

飼い猫の憂鬱と幸福

イースター礼拝(オンライン礼拝)

教会には行けないので、

今日の午前中は、自宅でお祈り。

いろいろ考えていた。

 

 

コロナのことは、たまに

いつ止むのか聞かれる。

 

言ってしまうと、救いじゃなく

呪いになるから、言わない。

 

ひとつだけ言うけど、

人は

こんなんなってても、

まだ自分、自分だよね。

自分と、それから家族ぐらい。

 

身近で罹患した人を責める。

まず、心配じゃなくて。

地域で、罹った人を嫌がる。

その人が回復するように、祈らないのは

なぜ?

 

神様がなさることに、間違いはない。

神様は愛だけど

光だけど、

愛が、光が人間を苦しめるのか?

って問いは、当然、心に起こると思う。

 

だけどさ。

苦しめないと、わからないじゃん。

人間って。

 

悪いことを、

人間がやってるから。

戒めないと。

 

スペイン風邪以来、100年くらい

経って、今また、コロナ。

 

亡くなった方々が

悪というのではなく。

亡くなった方々にも、私たちは気付きを与えられている。

 

こういう時にこそ、

まず自分じゃなく

目の前の誰かを励ましたり

助けたり

出来たら、そんな人ばかりなら、

すぐ収まるのに。

 

喉元過ぎ去ったら、人間はまた

忘れる。こういう大事なことを。

そうして、また100年経つと

疫病が出現する。

神様の、いかづち

として。

 

*オレ悪いことしてないし!

と思う方々も、いらっしゃると思うのだけど

100%善意で生きていられる人、あんまいないし

(たまにいる。翡翠君とか)

過去世についてまで、遡るような

レベルの話だからさ。

 

聖書を知らなくても、

ノアの方舟のお話やら、

【悔い改めよ】

って言葉が、なんとなく

浮かんでくると思うのです。