華々の愛の結晶の日々

飼い猫の憂鬱と幸福

お昼のこと

変な夢を見て、ボーッとしていたら

多嘉良がご出勤。

 

なので、慌ててお弁当をお弁当バッグに

入れたり、水筒を入れたりお箸を入れたり、

それから夕ご飯の下ごしらえをし、

多嘉良の部屋の掃除をする。

 

朝とお昼で、掃除する場所は分けている。

志村さんは、コロナを機に辞めてしまって

(元々、社会参加をしたい動機で

家政婦さんの会社登録していたかたなので)

私もだいぶ動けるようになったし、今は

完全に、家事は多嘉良と二人で手分け中。

 

浴室掃除・洗濯物干す・ごみ捨て

くらいかな?多嘉良の担当は。

あ、買い物と買ってきた物をしまう、のも

多嘉良。

 

ネットスーパーは、買う商品が決まってしまうし(品数が少ない)

コロナ中は、ティッシュなどの紙ものが

オンラインでは買えず、結局

細かい物を買うために、買いに行ってる。

私も、たまに

ついて行くよ。

 

出勤する日は、だいたい

お昼過ぎに多嘉良は出かけるのだけど、

今日はネクタイ着ける段階で、

なぜか棒立ちでボーッとしてた。

 

…え?大丈夫か?

 

ってのが、私の感想。

 

私「た、たから君。どうしたんだい?」

 

多「…」

 

え。

まさか、ネクタイの着けかた

忘れた?

 

プチ脳梗塞

 

多嘉良って、頭使い過ぎてて

なりそう!

 

そしたら私、介護しなきゃね。

濃厚な介護を。⇦何する気?

 

私の思考はともかく、多嘉良は

「…」のまま。

 

これって、まじでヤバいのでは。

 

私「ターチン、531たす236は?」

多「767」

私「8963たす4921は?」

多「13884、なぜ急に数字を出す」

私「脳梗塞かと思ってさ」

 

多「お前、合ってるかわからないだろ」

私「うん。よくわからん」

 

☝︎この会話、したんだけど

言った数は、合ってるのか微妙。

足し算は電卓で確かめたけど、

それでも間違うのがバカ猫。

 

霊視で計算は出来ないけど、答えが○か

どうかは、大抵わかる。

それも、問題を覚えていればの話だけど。

 

私「運転の仕方を、忘れていたら

すぐ◇⚪︎△君(秘書さん)に

○⚪︎⚪︎病院(専門病院)連れてって貰うのよ」

 

多「…」

 

で、何を多嘉良が悩んでたかというと

ただのワイシャツとネクタイの、バランス

だった。

 

いやだー、早とちりして

多嘉良をどう介護しようかまで、考えちゃったわ。

 

 

私のほうが、娘にジュースと思って

ドレッシング出しちゃったり

(ジュースの容器とドレッシングの容器を

間違えて)

 

フタなしの水筒を娘に渡したり、

 

ハンドソープのキャップを右手で押して

左手は蛇口の下に出してたり

(ハンドソープだだ漏れ、

逆にお水は出てない状態)

 

どうも天然脳梗塞らしいが…

 

多嘉良、私と将来

老老介護になったらどうするの?と

聞いたら

 

夫婦で二人で入れる介護施設

あるらしい。

 

でも、最後の最期まで

多嘉良って、他の人に介護されたり

無防備な状態を見せるって

しないと思う…。

 

私が先に死んで、それから気が抜けて

多嘉良も家で一緒に眠ると思う。

 

それは、孤独死ではないよなー

と思う。

 

老老介護の果てに

みたいな寂しい捉えかたをする人もいるけど、

夫婦でずっと一緒。

それは、得がたい幸せ。

 

今も、

病気の奥さん=大変

ではなく、通院も何もかも

多嘉良は「喜び」らしいし。

 

通院は大変ではあるのだけど、

私も多嘉良に大事にして貰っているなあ、

と感じる時間ではある。

 

ので、病院行くのも嫌ではなくなった。

前は、すごく嫌だったけど。

嫌だった時期もある。

本当の意味では、治らないもの。(心臓)

 

気まぐれで動いてる心臓、くらいに思ってたし。

 

堅信式の後に

神様の御心に感謝を、する気持ちだけに

なった。

病気というのは、ひねくれた心が出やすい。

特に、病気がつらい時(痛い、苦しい時)や

症状を受け入れられない時。

 

でも楽になった。

精神的に。

他に書きたい部分もあったんだけど、

何を書こうか忘れたよ。うーん。ただ、信仰が

あるから、とか信仰が助けになった

というのじゃなく。

説明できない。

光を見たとか、そういうのじゃない。

光は、昔から子供の頃から見てるし、知ってる。

 

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堅信は、洗礼の後から行う、聖霊の注ぎ。

洗礼と同時もあるけど、だいたいは後日〜一年くらいの間にある。

 

多嘉良は幼児洗礼なので、小4で堅信式を

迎えたと言っていた。物心つくまで、待つものなんだって。