華々の愛の結晶の日々

飼い猫の憂鬱と幸福

御守りづくりの話から飛ぶ、すごく深刻な話

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娘への御守り。

ちょっと大きいバージョンで、

5枚の符が入っている。

進学や、結婚までの願いが籠っている。

 

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こちらは、市販の御守り袋に

3枚の符を入れている。

財の符、愛の重ね合わせの符

もう一枚は術としての符で、

大切な人の身代わりになる。

 

符自体は、降り掛かる厄災、人災を祓うもの

なんだけど。

好きな人に降り掛かる災いを自分が受けること

で、ご縁結びを強めるという、少しグレーな術。

 

愛の故に、自己犠牲を払って

代わりに恩を売るって形ではないのだけど、

それを意識してはいけないのだけど、

神様や仏様は観ていらっしゃるので。

結び付きを強くしてくださる。

 

等価交換と思っちゃいけないんだけど。

そういうシステムがあるのだから、仕方ない。

夫婦が一蓮托生であるように、

影響し合うものだから。

 

作るのが大変なので、限定1個にて。

 

もし、オーダーとなると…

うー。私の調子がかなり良い日に、

御守り袋も作ろうかな。

御守り袋は、前に書いたように100個とか

買えば、安くなるんだけど。

普通に、神社が発注する業者なので

出来上がりもゆっくりだし。

 

---☽

 

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2月末か3月始めに

資本主義のびっくり祭典(地方版)に

行くかもしれない。

 

百貨店の上顧客が招かれるという、

丹青会。

そのインビテーションなるものを

多嘉良と結婚後、初めて見た。

 

教会で、ひっそり司式したのは2017年。

癌の手術前。

籍を入れたのは、2018年春。

ずっと具合悪く、その後も入退院で

手術もあり、家のほとんどのことを多嘉良が

していて、まだまだ未知なことがある。

 

こんなもん、今までも来てたのか…

中を見ると、宝石だの着物だの

腕時計だのペルシャ絨毯だの、

なんだか、カタログだけで目が回る。

 

多嘉良はワインとお菓子を購入したいそうで。

一人で行って来て欲しい。

こんな場所に、勝手がわからない私が入ったら

外商さんがズラリといる中で、言葉は

悪いのだけど、暴力的な接客の嵐になるだろう。

 

ああ、そう言ってしまって本当に申し訳ないんだけど、百貨店だって業績が低迷してるから、

仕事するしかないんだもの。

でも、でも、似合わない高価な服を無理やり

試着させられて、盛り上げられて

死にそうに恥ずかしいし、消えてしまいたくなるんだよ。

 

怖い。行きたくない。

こうまで正直に書いておけば、多嘉良も

考えてくれるはず。

 

多嘉良実家は、おじいちゃんの代から

会社の贈答品など、まとめて注文したり

調度品を自宅に頼んで持って来て貰ったり、

昔ながらの付き合いがある。

 

そうした、バリバリの御得意様には

強引な接客はしない。

 

私が、いかにも慣れていない風情で

多嘉良の後(文字通り3歩下がってる)を

ウロチョロしてるもんだから、

そりゃ総攻撃に合うわな。

それは、普段の買い物でも感じること。

 

だって、私が困って多嘉良を見れば

「好きにして良い、好きなものを買えば良い」としか言ってくれないんだもの。

 

そこには、私の好きなお石やビーズもないし、

愛らしいぬいぐるみもないし、

ヴィンテージやアンティークの

可愛いトイリングもないし、

ドールも毛布もない。

探せばあるっていうか、持って来てくれるけど

違う。求めているものじゃない。

 

服、靴、バッグなどが質の良い物だと

わかりはするけど、

それなら必要な分を長く使えば良いわけで。

実用性がないものや、華美過ぎるもの、

なんか、ギラギラしたもの?が嫌なんだよ。

 

帰って、自分のベッドで、毛布にくるまり

眠っていたいと何度思っただろう。

 

私はグレゴリオ聖歌を聴きながら、

塗り絵する時間を愛している。

絵を描き、手帳や日記を書く時間。

ミルクティーを少しずつ飲みながら。

 

やっぱり、こんな時に多嘉良に気後れする。

それから、とても難しいことを知っている

多嘉良の頭の中にも、びっくりする時が多々。

 

学問も、ある意味でこの世の中での衣

だと私は考えている。

さらに言えば、学歴は鎧かな。

もちろん、素晴らしい努力の成果だと思うけどね。

 

多嘉良に求めているのは、裸の魂のぶつかり合いだろうと思う。

たとえば、多嘉良がピアノを弾いてくれて

その音色の中で歌う時、魂は魂とぶつかり、

または抱き合い、幸福な光がたくさん生まれる。

 

私は人間であることを辞めたい時がある。

動物になるか、植物になるか、せめて

原始的な暮らしをしている民族として、

多嘉良に出逢いたかったと思うことがある。

 

厳しい世界だろうけど、何かの間違いが

一切許されない、真剣な瞬間の連続しかない

場所で、光と闇を共有していたい。