華々の愛の結晶の日々

飼い猫の憂鬱と幸福

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山形県の座敷わらし様のお宿、タガマヤ村に

行きたくて

出来ればお泊りしたい。

または、また昼参拝かな。

2018年に行った時と同じく。

 

と思いながら、タガマヤ村のサイトの

オンラインでお手紙を書けるコーナーで、

メッセージを送ってみた。

 

https://tagamaya.com/

 

その時、just 深夜2時。

 

非通知で鳴り出した携帯。

おお…と思い、出た。

 

無言……

 

*注:怪談ではない。

 

やっぱり、人の世界のことじゃないから

気温が下がる感覚、鳥肌などの反応が

どうしても出る。

でも、有難い。

 

こんなふうなことが、珍しくない人生だった

とはいえ、「慣れ」には決してならないのが

不思議だ。

 

無言は続き、こちらから切らない限り

続く様子だったので、

いつも有難うございます

とお伝えした。

声には出さず。

 

(きてね)

という、小さな女の子のかわいい息のような声。

ちょうど、私は両腕にタガマヤ村のブレスレットを着けていた。

 

なんだか、前回行った時に

娘が、こちらの主である座敷わらし様と同じ

くらいの年齢で。

それから、娘が身長も高くなり、

知識もついて、大きくなって来たことに

静かな感動が走った。

 

神様は、見た目の年齢は取らない。

 

事故や虐待などで命を落とした子たち

が、こうした霊場に導かれて

つらかった記憶や傷を癒やして、

神格を得るまで、ひたむきに人を助け続ける

ことを、実感として感じて、知っている

人はいるんだろうか。

 

ただ、神様というような存在が願いを叶えてくれる、と言って集まって行くけれど。

神様にも、苦心があることを知っているのだろうかと、思ってしまう。

 

多嘉良は寝ていた。

起きてきたので、

「私、タガマヤ村にまた行きたいの」と

言ったら

「ああ、はい」なんて言ってる。

半分寝ぼけてたらしい。

 

でも、翌朝

「タガマヤ村に行きたいって?」と

確認してきた。

 

---*

 

今日はこれから、神社へ。

初めて行く神社。

 

昨日、娘の学童にお迎えに行ったんだけど

(車に同行。私だけ学童に入ったら)

周りのお母さん方の反応の、

何とも言えなさよ…。

学童の先生の、おかしな反応といったら。

 

私は昔から、「なんか変」と言われてきた。

真っ白でガリガリで、栄養が取れなかったので

身長も伸びず。気配もなく。

 

普通、発している〝気〟というのがなく、

力も抜けていて、それが「なんか変」に

繋がるんだと思う。

多嘉良がよく言ってるように、きれいな表現を

すれば、草花などの感じ。それが服着てる感。

 

ヴィンテージワンピが変なのか?いやいや、

そんな表面上のもんじゃなく。

 

でも、周りの人が見るのは

「この人なんか変、なんか違う」の印象の後、

多嘉良に持たされてるバッグとか、

つまらないもの。

つまり俗世での価値観。

あーやだやだ。

何でこんなに思考や感情がダダ漏れなんだ、

みんなして。

 

私は一生、「普通」にはなれない。

ならない。なりたくもないけれど、

なれないことへの疎外感はある。

溶け込むことも出来ない。

 

孤独だ。

愛すべき孤独。

そして、化け猫を貫き通したい。