華々の愛の結晶の日々

飼い猫の憂鬱と幸福

神様について思う

また多嘉良が、ケーキを買ってきた。

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とりあえず、半分こ。

私が残した部分を、多嘉良が食べる。
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カトリック手帳に、聖句を書くことを

習慣にしてるのだけど

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(もう14日まで書いてあるが)

乗り越えられない試練を、神様は与えるか

どうか?

で言うと、お与えになるね。

 

じゃあ救いないじゃん、と思うかもだけど

 

多嘉良は、私が子供の時に体験したことは

救いがないし、

病気も治らないから、結局なんだかなあ、

と思ってるはずなんだけど。

 

乗り越えられないほどの、

絶望すらない状況

(希望を抱けないから絶望もないくらいの状況)

というのは、神様の領域で

神様の力だけが、介在している。

 

苦悶は、突然、楽園に変わる。

体が死ぬって意味にもなるけど。

神様と一体になる瞬間があり、

助けを求めて一心に祈った、極地とも言える。

 

普通にしていたら、極地までは到達できない。

だから、有り難いこと。と感謝する時。

人間の世界から、出る瞬間。

 

人をどんなに苦しめたとしても、

魂の域は侵せない。

そして必ず、体が消滅した後に

神様のいかづちが、天罰がある。

ま、生きてる間にある場合もあるけど。

 

犯罪の被害に遭って、人間の世界の法律が

裁き切らなくても、神様の世界では

じゅうぶんな罰があるから、

被害者や、被害者を大切に思う方々は、

どうか心を鎮めていてほしい。

 

お前なんかに何がわかる!と言う人も

いるだろうけど。

神様に会ったことがあるから、としか

言えない。

 

こうした話の中で、反論があると

あんたは神様に会ったことないんだから、

ちょっと黙っといてよ、と思う時期も

あったけど。

そりゃしょうがないよ。

会ったことがないんだから。わからないのは

仕方ない。

 

でも、まあ、そんなシステムになっているよ。

だから安心してほしい。少しだけでも。