華々の愛の結晶の日々

飼い猫の憂鬱と幸福

眠りと、霊と

今日も私は、多嘉良実家で眠る日だった。

 

そういえば、今回は少年多嘉良の生き霊に

会わないな、と思っていたら

多嘉良部屋に行ってないだけだったわ。

 

と、気づいた途端

対決せねばと思って、

さっき入って来た。

 

グググ…

春の匂いの漂う夕方に、入らなきゃヨカッタ

 

夜だったら、マジでアウト。

くっきり視えて

場合により、けっこう怖いかも。

 

家には、大人バージョンの生き霊が

思いっきりいる。

多嘉良の仕事部屋にいる。

夜中にゴソゴソしてるから、部屋の前で

「おやすみ」と声をかけてあげる。

すると、音が止まる。

 

生き霊は、生き霊なので

方向性を示すと、死んでる人より素直。

多嘉良の生き霊は、

「おやすみ」と言われたので

寝たってこと。

 

亡くなった方々も、だいたいは普通なんだけど

お盆の時期、夜に(20時くらい)

田舎で(魔の家の辺り)

犬を散歩に連れて行ったら

(魔の家の犬は、当然ネグレクト状態だった)

やたら村人に会うの。

 

全ての人に挨拶していたら、

ほとんどが帰って来ている、

ご近所のご先祖様。

年代が古いと、色が違ったり

霊として長いので、親切な人はやたら

明るく視えたりしている。

 

その頃、私は超病み期。

30kgないくらい。

鉛筆のような脚で、

いや多嘉良いわくシャーペンの芯のような脚で、やっと歩いてるぐらい。

 

霊なのか、生きてる人なのか

見分けがつかないくらい視えた。

 

でも…

あの時期は、言い換えれば

楽だったかも。

意識がフワフワしていて、この世界の物事が

どうでもいいんだもの。

 

闘病って、意識が薄まれば

楽なんだけど、闘っている内は

全瞬間が生きていることを、強く感じ切ってしまうから、楽ではない。

痛い、苦しい、死にたくない。

全部、生きてるから感じられること。

 

ある一点から、どうでも良くなる。

神様に任せる時になる。

 

なんか、話がズレたが。

 

昨夜は、多嘉良の生き霊君が

私の部屋にいた。

気にせずに寝たけど、やっぱり気になり

夜は何度も目が覚めて、日中によく寝た。

 

寝たら多嘉良の夢を見るし、

もーやーだ〜。

 

---☽

 

昨日に引き続き、というかミニ版だけど

カウンセリングと御祈祷、1つずつ出した。

 

すまん、今日は1つずつで…

 

目が霞んだり、ふらふらしたり

霊感ってこういうことなのかと、

体が元気じゃなくなると、よくわかる。

 

でも、それが自然で

あるがままだから、

しょうがないね。