華々の愛の結晶の日々

飼い猫の憂鬱と幸福

祝日の午後

夕方、16時から30分、

お電話の枠を設けます。

普段、夜間のカウンセリングが難しいかたに。

舘メールまで、お申し込みください。

 

🔸🔸🔸

 

午前中、少し出かけた。近所。

 

お店の中で、子供に怒鳴っている人がいた。

わりと若い男。なぜか棒つき飴食べてるし。

お店の中で。

 

気持ち悪いのと、周りに配慮できない感じと

子供が、あまりにもつらそうで

こんなに外は澄み渡る青空なのに、

あの子には空の色なんか関係ないんだ、

心が潰されてるから、

と思ったら

涙が止まらなくなった。

私も変な人。店内で。

 

娘は落ち着いてて、

「ママ、パパのところに帰ろうよ」と言った。

多嘉良は、車の中で待っていたから。

 

娘、

「(どんな人か)見てくる」とか

言うから、

こっちにいなさい

と言っておいた。

見ても嫌な感じを受けるだけ。

 

胃がむかむか。

胃薬が効かない不快。

 

その後、多嘉良と車で話した内容。

虐待は多くなってる、って話。

 

少子化なのに、事件は多くて。

 

ただ単に周囲が、地域の子供達へ

敏感になっただけではなくて。

 

親世代が馬鹿になってるらしい。

 

昔、私達が通ってた学区は

教育にうるさかったんだけど、

今はちょっと荒れてる。中学校がね。

 

微妙に、貧富の差があるかな。地域的に。

でっかいお屋敷がちょいちょいと、ある一方で

崩れ去りそうな、アパートとかが

合間に。

 

私が当時住んでたのは、後者ね。

貧富について、疑問も抱かなかったけど。

不思議よ。なんで疑問を持たなかったのか。

子供だったからか。

 

友達も、お屋敷の子が何人かいて、

遊びに行ったけど、私は何とも感じなかったの。

多嘉良の実家には、さすがに

生活レベルというものの、違いを感じたんだけど。

 

たぶんね、この差によって

変なさ、澱が生まれるんだ。

人間同士の。

親同士もだし、子供達も。

 

当時の私が住んでいた場所は

今思うと、無職の人がどうやって、

住んでんのかい?

みたいな住まいだった。

真面目な人だって、もちろん住んでたけど

自治体に依存するような、義理父みたいな

人が多かった。

 

多嘉良が一度だけ、

義理父に会った時に

意味のない敵意を剥き出しにされたのね。

あ、みーさんに対しても、

義理父は怒鳴った。

 

あれは、完全にオーラや佇まいで、

負けを悟った状態よね。

 

中学生だった多嘉良の、小揺るぎもしない

怖い程の落ち着き。

当時から、体格の良かった多嘉良。

大人のような表情をした、年下の同性。

見て、嫌だったんだろうね。

身綺麗で、バーバリーのグレーのマフラー、

きちんと巻いて、真っ直ぐ背すじ伸ばして

真っ直ぐ見据えてくる、明らかに大人よりは数段以上、

賢い子供。

 

まあ、そんな多嘉良は多嘉良なりに

大人との付き合いが、面倒そうだったけどさ。

学校の先生も、内心バカにしてたし。

賢い子にありがちね。

 

話ずれた。

 

寝ます。

 

今日は、お昼寝後に娘と粘土したり、

小さなお菓子を作ったりします。