華々の愛の結晶の日々

飼い猫の憂鬱と幸福

人が生きる強さや、不思議なことの話とか

今日は、書いてる内に

話がどんどこブッ飛ぶことが予想されます。

いつもの通りだけど。

いつも以上に。

 

さっき、掃除をしていて

考えていた。

10代半ば〜後半で

死んでいく(自死で)子たちと、

生き延びて大人になる人の違いって、

何だろう。

 

あんまり差がない気がするんだけど、

その1mmくらいの差は、魂の世界では

大きいのだろう。

 

自ら死ぬことには、エネルギーも意思も

必要だから、精神の強さが生死のどっちに

作用するかだから、心が強いかどうかは

関係ない気がする。

だいたい、人の心は弱さと強さを

併せ持っているのだから。

 

その人生でやることが、先にあるか

どうか。

とは言っても、自死した場合

また初めから産まれ直して生き直して、

やり直しになる。

 

本当はやることがまだまだあるのに、

死んでしまうことはある。

 

魂の學び、仕事の中に

自死の経験を積む課程があるか

どうか。

だと思う。

 

死ぬ前には、生きることを考える。

追い詰められるわけだから。

 

生きることが何なのか、知るために

死ぬ人もいれば

幻覚と現実の境を確認したくて、

死んでしまうことだってある。

どっちだかわからなくなる人がいる。

 

ちなみに、亡くなってからも

幻覚と現実の区別がわからなくなっている

霊がいる。

【こっち、どっちですか】というような

聞きかたをして来て、直感的に

こっちは現実です。と答えたことがある。

納得してなかったけど。

 

私に聞くのではなくて、自分で決めたら良いのに。

 

死って何だろう、というより

どんなだろう、どうなるんだろう、

って誰でも考えるんじゃないかな。

早い人は、保育園行ってるくらいの年齢で。

 

私は父が亡くなった後、あんまり違いがないのだとわかっていた。

父は、近くにいたから。

 

最初、亡くなってから4か月くらい?

12月に亡くなって、春までは近いところに

いたと思う。四十九日は、目安ね。

 

本人が離れたい時、この辺りの地上から

離れるし、来たい時には来るから

お盆も気にしなくて良いと思う。

礼を尽くすために、儀式化しているとして。

 

父は、呼べば見に来ていた。

私が具合悪い時とか。

でも、本当につらい時は呼べなかったな。

見てほしくないから。

 

命については

冬の海に入水しても助かったから

自分の自由になるものでは、絶対ないと

感じた。

 

たまたまだけど、雷に撃たれたことがあり、

それも助かった。

自分の意思だけじゃなく、神様の力がある。

長靴を履いていて、それがゴム製だったので、大丈夫だったみたいなのよ。

ビニール傘の柄に落ちたようで、鎖骨の部分に

火傷はしたけど…宝くじ1等レベルの確率らしい。

 

首を吊ってみて、一気に吊るんじゃなく

徐々に、絞まる感覚を確認していった時に

その内意識がなくなって、ツルッと足が

滑ったら、もう死んでしまえるのに

死ななかった。

その時は、つらいなあ、生きるのが

と思った。感謝じゃなくて。

 

神様に決めて貰おうとしていたから

駄目なんだろうな、と、わかってもいた。

 

どんなに感性が鋭くても

勝手に絶望してるだけだから、

それは、何と言うか、僻み。

自分は不幸だと捉えて

他の人を幸福と思ったり。

その狭さや小ささが、自分でわかるんだけど

変えようがない時があるね。

 

まだ、つらい時は

やり過ごすしかない。

力が溜まるまで。

スタートを切れる時期は必ず来るから、

その時に勇気を出して努力するしかない。

 

どんなに重病でも

まだ少し、もう少し生きられたりする。

死は人の領域が決めるのではなく

神の、秘のものだ。

 

自分じゃどうしようもないことって、ある。

事故や、事件や、病気。

生きること。死ぬこと。

それをただの起きたこととしてではなく、

神様や霊的な力が加わっているのだと

実感している人と、していない人。

気づいていない人。

体験はなくても、予め知っている人。

 

色々だね。それが、良いか悪いかも

その人のものだから、何とも言えない。

 

コロナだって、この文明の世で

文明の世だからこそか、あっという間に

人間の世界を侵食した。

 

これこそ、ノアの方舟だと思う。

 

生きるか、死ぬかの状況で

誰かを気遣えるかどうか。

 

生きるのが、何なのか

病気になると、よくわかる。

生きることの凄さを感じる。

 

人との繋がりの深さも、尊さもわかる。

自分、自分で手一杯だと

何も変わらない。

つらくても少しだけ、他の人を見れたら良い。

他の人を助けられたなら、良い方向に

変われるのだから。

 

 

ところで、たまに多嘉良と観る朝の番組で、

呼吸器の専門医として出演されている

ニ木芳人先生が渋い。

 

めちゃくちゃタイプ。特に、お声。

誰かを否定したり、しゃしゃり出たりなさらず。ズレた意見にも、丁寧に答えたり。

品性が高い。素敵。

これは恋?くらいに思うわ。

 

私、ファザコンなのよ。

うーん、あの仙人のような御殿医のような

お顔を近くで見てみたい。

 

多嘉良に、あんな風なおじい様になってー、

と言ったら

「はいはい」と言われたわ。